ズズズのパタてん

基本言いたい事書いてます。

お肉を食べるべき?やめるべき?

お肉食べていますか?

 

僕は10年以上前にペスクタリアンっぽいことをしてた。

 

でもこの7年くらい肉食べてました。

 

ただ最近調子もよくなく中性脂肪 コレストロール 体重など

 

どんどん悪くなる一方でどうしたものかと思い

 

再びペスクタリアンを実行してます。

 

ただ牛、豚、鶏の肉を食べないだけです。

 

エキスなどは食します。

 

身体はとても楽ですが肉を避けると正直満腹感の持続が短いです。

 

ただ無理はせずゆで卵食べたり、チョコ食べたりしてます。

 

お肉が大好き、でもお肉をやめたい、でもタンパク質をどう接種したらいいか

 

悩みどころです。

 

魚と豆と卵、乳製品。

 

これ以外だとあとは昆虫になってしまいます。

 

 

童貞喪失。

自信がないということはチャンスを見逃すだけじゃなくて

 

0地点にも立てないということ。

 

たとえばお腹がすいてて、ある場所に行くだけで、食料にありつけるのに

 

自信がないせいで、そこの場所にも行くことができない

 

というのは もちろん食料にもありつけないということ。

 

ただ行くだけ、ただみるだけ、ただ聞くだけ、すらできない。

 

自信をつけるということは 本当にやりたいことをみつけることではなく

 

やったことないことをやってみたり 今やらなければならないことをやってみたり

 

することだと思う。もちろん失敗もするし恥もかく。

 

場合によっては対象が人間になると気まずい状況がずっと続くかもしれない。

 

それでもやってみる価値はあると思う。いやある。

 

もし嫌だったらやめるという選択だってあるし良かったら続けるということもできる。

 

僕は自信が全くない学生だった。

 

でもありがたいことに何人かの女性は好意的だった。

 

でも自信がゼロだったため 何もなかったんだ。

 

最初に言った 行くだけで食料がもらえたはずなのに 行けもしなかった。

 

そういう状況が26歳くらいまで続いた。

 

ということはまだ童貞だった。

 

それがあと4年続いた。

 

今でも喪失時のことはよく覚えている。

 

でもよくよく思い出してみると(自慢話になるかもしれません)

 

女性から食事に誘われたり電話もらったり初対面の女性の家に呼ばれたり

 

クラブ(踊るほうの)で逆ナンされたり喫茶店で声かけられたり

 

本当に行くだけで食料がもらえてたのに行けもしなかった。

 

今、もうすぐ50歳になろうとしているけどまた自信をなくしてる。

 

また良くない芽が出始めている。

 

でも

 

自分が思っているほど自分は自信のない人間ではない。

 

無理してでも行動したほうがいい(病気や怪我でなければ)。

 

もしそこで食料もらえなくてもあきらめずに。

 

今と昔の自分へ。

Amazonさまへ

Amazonkindle使ってる。

 

プライム会員入っているから安く買えたから買っただけなんだけど。

紙の本をそのまま電子にしてるんだろう?

 

電子になってページをめくる必要があるのかといつも思う。

 

個人的に電子書籍にしてほしいのは

 

〇読みたい単語や関連している事を一気に目を通せるように。

紙の本は仕方ない。大きな項目をかいつまんで読んでも他のところに面白い

事が書いてあるかもしれないから一通り読まないとわからないことが多い。

電子はそうじゃない。何でもとは言わないけど操作できないと電子にする意味がない。

 

〇その本の内容に対して全く違う視点で書いてある本を紹介してほしい。

アンダーラインの機能がAmazon kindleにはあります。

ここにアンダーラインを何人の人が引いてます ということって必要?

基本アンダーライン引く人ってあまり本を読まない人が多い。

それよりはアンダーラインを引いた部分に対する反対の意見や

「誰々はこういってます」とかがほしい。

 

〇前ページを一画面で見れるようにしてほしい。

もちろんスマホタブレットでやったら大変なことになります。

でもパソコンならまだ可能かなと思う。

で、単語を検索するとそれが全てマーキングされて前後数文字を含めて

一気に閲覧できる。とか。

 

ま、とにかく紙の本の動作をそのまま電子にするのは

大きく間違っていると思う。

 

Amazonさん よろしくお願いします!

昭和から平成が懐かしい。

元号が変わる。

昭和から平成の時を思い出す。

僕は高校生だった。

僕は中学の時の友達三人で江戸一の食べ放題へ行き

帰りはお金なかったから30分くらい歩いて帰った。

僕は家が大嫌いだったのでその夜遅く帰ったら

母が怒りモードで待っていた。

というのが昭和最後で平成最初の日だったと思う。

その境のことはよく覚えてないけど。

 

80を超えた母は未だにそのことを言う。

 

そしてあれから31年。平成が終わる。

 

特に平成への思いもない。もちろん昭和が終わるとき

昭和の思いもなかった。

ただ元号とかは勝手に決まっていくし

個人では制御できないので自動的になんとなく節目になる。

 

これで僕は三つの元号を生きたことになる。

 

もう一つ思うのは僕の祖父母が明治大正昭和と生きた。

当時すごいな、三つも生きたんだと思ったけど僕がそれになる。

場合によってはもう一つ生きるかもしれない。

 

でもさ元号が変わることで血の色が赤から緑になるわけじゃないし

僕が違う人になるわけじゃない。

そんなに考えない方がいいけど暫くすると

平成を思い出し 平成に生まれた彼らは平成が懐かしく感じて

ノスタルジックになるんだろうな。

 

おなじ みち

君が「作家は作品に責任を持たなくてはいけない」といい

作者に本名を無理矢理使わせて世に公表してから20年以上が経つ。

君の音楽活動はインターネットを通じてわかる範囲は知っている。

もしかしたらそれ以外も君の事だから沢山の活動もしているかもしれないから

全てを把握しているわけではないかもしれない。

しかし社会的に世に出て認められることを想定していた君は出だして躓いたが

20年それによる活動はできたのだろうか?

結果が全てと豪語していたがその結果はそのようになっただろうか。

「音楽家」になるためには「音楽」以外に興味をもってはならないと言った君。

「僕が一番なのになぜみんなわかってくれないのか」と言った君。

古い写真をみるようにいろんなことが思い出されていく。

ただ、いま、わかる、わかったことは、お互いすごく寂しかったということだと

僕は思う。

仲間は、自分から作るものではなく 自然に出来上がっていくもので

それは河原の藪の中から出てくるときにつく オナモミのように。




気づいた事

書きたい事をメモしてためているんだけどうまくまとまらず

 

記事にできないのでなんとなく持っているCDをレビューしてます。

 

これを聴くと小学生の時を思い出すとかそういうのはないんだけど

 

やはり様々な思い出はあります。

 

このCDを買った当時の自分のブームや周りの人たちのこと

 

じんわり思い出します。

 

正直、あ、人との思い出ってこんなものでいいんだなと思うと

 

これ以上を求めても仕方ないと思う。

 

旅先で偶然出会って、その別れ際に何かを交換して 何年かしてそれをみて思い出す。

 

そのくらいで人との関係って成り立ってしまうと思う。

 

SNSで頻繁に連絡とったりする相手の細かな行動を文字 写真  動画で

 

追っていってもそれはテレビの画面で有名タレントが自分の豪邸を謙遜しながら

 

自慢して紹介しているようなものをみているのと同じになって

 

いつの間にか友人がタレントなのか友人なのかわからなくなるような感覚

 

に陥っていつしか自分の行動と比較しはじめて・・・。

 

こういう感じで文章がまとまらなくなる。